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パトレーゼ、カッコよかった
古舘の二百戦錬磨って語録がシンプルながらも好きなのよね。鉄人ってなんかゴツゴツした人を連想するのにシュッとした男前だしね。
超懐かしい。いぶし銀パトレーゼ。サッカーならばアシスト王、野球ならば確実に3割打てるアベレージヒッター、ラクビーならばスクラムハーフやスタンドオフ、バレーボールならばオポジットと確実にフォアザチームに徹した。
パトレーゼにスポット当てるとはどんだけシブい趣味してるんだ!笑
日本のモータースポーツやファンを着実に育てた時代。バブルに浮かれて ただ単に "セナ" "ホンダ" をやってたわけじゃないって事ですねっ。
ブラバム時代のピケとパトレーゼのコンビ、二人とも男前ですな。
93年の日本GPの決勝レースで見ましたよ!錆びない鉄人パトレーゼを。ダンロップコーナーでスピンして、私が観戦していたN山エリア側のガードレールにぶつかり、グリーンゾーンに止まってくれて幸いでした。彼は怪我もなくマシンを降り、コースマーシャルに医務室に行くように促されましたが、本人は「大丈夫、大丈夫」とゼスチャーして断りました。金網越しにヘルメットを脱いで、しばらくグリーンゾーンに佇む彼を見ました。彼が引退を発表してもう30年が経つんですよね。あのサンマリノGPの記憶が生々しく残っていた時期に。最後になりましたが、とても貴重な映像をありがとうございます。いつ放送されたものなのですか?
偉大なるNo.2ドライバー。パッシブサスペンションの時は マンセルより速かった。FW-14に乗るパト様は生まれ変わった様に速かった。記録よりも記憶に残る鉄人。
パトレーゼ、男前でスキーが上手い印象⛷当時はピケよりもパトレーゼが好きでした❣️あと、何気にこの90年のティエリー・ブーツェンとのウィリアムズコンビ時代も大好きでしたね^ ^92年だったかウィリアムズで、猛追してすでにスリップに入っていたマクラーレンのベルガーがピットインする際減速し、追突してパトレーゼのマシンが宙に舞ってクラッシュしたときは青ざめました…また、パトレーゼ自身も94年のセナの事故を目の当たりにして引退を決めたと、後年インタビューを読んだ記憶があります…鉄人と言われていますが、繊細で優しい職人肌の人で素敵でしたね🍀✨
あのときパトレーゼがベルがーに危ないじゃないかと注意したら、「ごめん、ごめん、今度ピット入るときは君のパパに電話して入るね。」とベルガーが言ったらしい。
パトレーゼがこの30年のF1で一番好きなドライバーです!87年のメキシコ遅いブラバムで3位表彰台乗った日から93年引退まで応援してました、この放送もビデオに録画して何度も観ました、少年時代の良い思い出すね。パトレーゼの悪口ばかり言うジェームスハントが放送に出てこないのは(笑)
リカルド・パトレーゼ…幼き頃の私のヒーローでした。買うミニカーはマンセルのレッド5ではなくいつもカーナンバー6のパトレーゼのウィリアムズ。最後ベネトンに行ったときもシューマッハなんかクソ食らえでパト様をずっと推してた。パト様実は鉄オタという一面もあったんですよね。
自分も19歳だった当時アイルトン・セナに憧れてレーサーを夢見て活動していました。セナももちろん好きでしたがパトレーゼの渋い走りも大好きでした(数年前幸運にもツイッターで彼にフォローされました)。しかし当時あれほどF1に夢中になっていたにもかかわらずこんな特番があったなんて不覚にも全く知りませんでした。そしてこれを見てより一層彼が好きになりました。自分も諸事情で志半ばにしてレーサーの夢を断念しました。しかし最近になってまたあの時の夢が再燃して本日fiscoライセンスを取得してきたばかりでした。そんな時にこの映像を偶然見つけて何か運命のようなものを感じました。自分ももうすぐ50歳。あの時のように勢いだけで行動できませんがやれるところまでやってみようと思います。貴重な映像をありがとうございます。
人間幾つになっても夢を諦めない事が大切ですよ✨ 20代で結婚し子育てに追われカートを辞めてしまいましたがもう直ぐ還暦になるので還暦を機会にカートを始めるつもりです。頑張ってください💪😊
パトレーゼとアルボレートが大好き❕二人とも紳士だしね。
パトさんのヘルメット、開口部の紺色のラインごしにピタッとした白いバラクラバ、シンプルだけどめちゃ格好良かったなあ。
レーサーとしても大好きだけど、超絶的なメルクリンコレクターの顔も大好き❤
当時のフジテレビはバブル期ということもあり、海外への取材も精力的に行ってましたね。毎週木曜日の深夜に『ポールポジション』という番組があり、レースがない時でも様々な観点からF1を取り上げる良い番組でした。国際映像だけでなくフジテレビ独自のカメラが捉えた貴重な映像も数多く、レースの振り返り解説やインタビューも多くて、ポールポジション内でたくさんの特集が組まれ放映されてて毎回楽しみでした。ただ、F1人気がブームとなって来ると番組も生粋の情報番組から万人向けのワイドショーようなノリになっていき、このようなスペシャル番組や渋い特集などは少なくなってしまい、ポールポジション自体も木曜深夜から日曜深夜枠になった事で、レース中継がある時はポールポジションはお休みと事実上の放送枠縮小で、グランプリ以外の海外取材も減ってしまったようで残念でした。
自分の思っていたことをそのままコメントしてくれてます。フジテレビの放送以前の映像も使われていて見応えある内容だと思います。海外では今もドライバーにスポットを当てたドキュメンタリーとかあるのでしょうか?
パトレーゼへの助言を見てもわかるバーニーのゴッドファーザー感。彼ほどF1界全体を見渡せる人物もいないだろう。
貴重な動画をアップしていただき、ありがとうございます。マンちゃんとさしの勝負で勝った1991年のメキシコGP、レース後のフランクウィリアムズの嬉しそうな顔、パトレーゼは円熟した1番良いタイミングで、FW14、そして正々堂々とした勝負を認めるチームオーナーと巡り合う事ができて良かったと思います。でもこれはただの幸運ではなく、パトレーゼ本人の元々の速さ才能に加えて常に戦闘力を維持しながら経験を積む事によりつかみ取ったポジションだと思います。
こういうのがあったんですね!パトレーゼファンとして最高です!ありがとうございました!
素敵な人ですね。なんて言うか、調子がいいとき、悪い時、ハッキリしてますね。人間的に多くの事を学んでますね。努力家ですよ。素敵、頑張ってください。
このビデオ、実家にあるのを思い出しました。90年までのまとめだったと思います。この翌年くらいまで日本企業が元気でしたね。CMで入ってたスーパークロスも見に行っていました。懐かしい動画をありがとうございます。
素晴らしい動画ありがとうございました。マンセル、パトレーゼのウィリアムズ好きだった。
パトレーゼファンです。アップありがとうございます。家宝にします。
こんないい特集やってたのか・・・この頃F1大好き(今も好きだけど、今よりも)だったけど、全然知らなかった。今更ながらパトレーゼファンになってしまいましたよ(笑)
200戦出走でお祝いの時、パトレーゼの身体を持ち上げていたのは、ナニーニとジャコメリ。特にナニーニは自分の事のように顔をクシャクシャにして喜んでる。横には今は亡きチェザリスもいるね。この時、プロストも駆けつけてワインで乾杯していた。こんなドライバーなかなかいないよ。
パトレーゼの苦労をはじめてしりました。CMまでついつい観てしまいました。田中律子・石田ゆり子のツーショットに(涙)アップありがとうございます。
この91年夏に放送していたフジ月9ドラマ、101回目のプロポーズ撮影のときに、荒川河川敷で収録したCM映像ですね。
F1黄金期に職人パトレーゼを生で観れたことを幸せに思います。イタリア人にしては勤勉で真面目な印象でしたが、考え方や人当たりはイタリア人ですね。92年のポルトガルで前を走るベルガーのリアタイヤと接触してオンボードカメラに空が写るほどの大クラッシュした時、マクラーレンピットへ抗議に行く鬼の形相のパトレーゼも忘れられません。
イタリア人って陽気だとかいい加減だとか勝手に日本人は思ってますが、真面目でクールなドライバーが多いですよね。パトレーゼ、アンジェリス、タルキーニ、フィジケラ、トゥルーリとか。どちらかというと繊細で神経質な感じですかね。
セナが逝って時が止まり、心ここにあらず観ていたシューマッハもまた···年を取るとは、こういうことですね。
パトレーゼ大好きだったなー。懐かし過ぎる!動画アップありがとうございます!
マンセルが戻る前の収録なんでしょうね。ファーストドライバーがマンセルになっても彼の勝にこだわる姿勢は感じられた。ピケも、感じがいいドライバーだった気がします。
この番組は知らんかったなぁ。関東限定?パトレーゼはだき好きなドライバーです。アップありがとうございます‼️
リポーターの川合ちゃんがエキシビションで行われたF1クイズイベントでパトレーゼとペアになったところ、大ベテランならではの生き字引の如き知識と、出題者の持つ小さなカンペに書かれた解答まで見通してしまう恐ろしい視力で無双状態だったとか
安全性が現代とは比較にならなかったであろう時代に200戦超出走…渋い‼️ 瞳涼しいイケメンでもありました‼️
二百練磨のF1戦士、お誕生日おめでとうございます!!
1991年は、パトレーゼが輝いた年だった。
91年のブラジルGPで6速のみで走り切ったセナが初優勝した時に、表彰台の2位に立ったのがパトレーゼだった(ちなみに3位はベルガー)。セナが疲労困憊でブラジル国旗を持って表彰台に現れ、国旗を高々とあげようにもおぼつかなかったのだが、そんなセナの体を横からパトレーゼが支えて祝福していた。あれから30年たって残念ながらセナはいなくなってしまったのだが、あのパトレーゼの表彰台でのシーンは今でもはっきりと覚えている。
イタリアの優男って感じの雰囲気好きだなぁ
物凄く貴重な映像を見られて本当に嬉しかったです。ありがとうございました!
「いぶし銀」…外国語で、この言葉が通じるのかは分かりませんが、是非ともパトレーゼ氏に送りたい!
ヘルメットのデザインがシンプルでかっこ良かった。76年イタリアGP事故原因は彼でなくグリッドが全車つく前にスタートしたのが原因。ジルのスタートはフライングではと思った。
10’20”あたりスタジアムトライアルが懐かしい。
Grande patrese
18:40 パトレーゼ「フェラーリいいなあ、俺も乗りたいなあ」
日本に縁が深かったですね、キャリア初ポイントが77年の富士で翌週の鈴鹿GP@F2で優勝。WECではランチアで参戦。
20世紀の富士、鈴鹿両方でポイントを取った唯一のドライバーですね。
@@tkmd5415 門扉解放(外人選手へのJAFライセンス発行)以前で唯一の「日本帰りは出世する」でした。
鈴鹿にシェブロンのウィングカーで登場した
@@大嶋明弘-g8k B48=まさかの日本デビューでしたね、3位入賞は「流石ディフェンディングウイナー」とおもいました。
パトレーゼのF1キャリアの前半は辛い事ばかり。。彼のイメージを悪くしたのはピーターソンの事故の責任を回避したいハントの発言ではないのか。。ラウダも事故後にパトレーゼの出走を拒否している。観客からは「このユダヤ人め!」といったヤジがあったとか。。だが、誠実なパトレーゼを慕う人は多かった。同じユダヤ人で彼を守るバーニー、彼を兄と慕うナニーニ。セナとも比較的仲が良く、F1復帰の相談をしていたそうだ(セナの死で実現しなかったが。。)
彼は今何をしているんだろう……ワーウィックと並んで好きなドライバーです。
25:38~25:50 パトレーゼさん。”鉄人”の名の通り、鉄ちゃん(模型鉄)だった・・・。
鉄人の鉄ちゃんか。ハハハ、とてもいい感じですね。❤
ドイツの名門鉄道模型メーカー、メルクリンのアンティークレアアイテムをコレクションしているそうな。
1991メキシコは彼のベストレースだと思う。絶頂期のセナとマンセルを力ずくでねじ伏せてポディウムの頂点に立ったのだから。
鈴鹿GPでの高橋国との一騎打ちも凄かった!🤗
100戦練磨ならぬ、「200戦練磨」のドライバー
ありがとう! パトレーゼ!
パトレーゼの奥さんは彼が運転するシビックの助手席で「マンマミーヤ!!!」と絶叫していたなー…。
90年からF1を見始めたけどパトレーゼが実はモナコ勝ってたと知った時は驚いた
リカパと事 サーキットの皆勤賞。俺がF1を見始めたのが1990年のサンマリノ
イケメンですよね^_^最後ベネトン時代は目立たなかったですね(*_*)
ミハエルはベネトン時代パトレーゼからチームスタッフへの感謝の仕方を学んだ。
リカルド・パトレーゼ派手さはないが、堅実な走りを魅せてくれたいぶし銀子煩悩で愛妻家だった
パトレーゼがシェブロンのウィングカーで鈴鹿登場して高橋国さんとの一騎打ちは凄かった!
リアルタイムでは知らなかったパトレーゼがここにいるのか。。。私が知ってたのは「200戦練磨で冷静でなぜかやたらとスキーが上手い人」だったからなぁ。
放送当時、リアルタイムで観てましたよ^^録画したVHSのビデオテープ未だに持ってますw(ビデオデッキ無いけどwww)
ビデオデッキ、まだハードオフのジャンクコーナー辺りで売っでるんじゃないでしょうかねえ。
フランクやパトリック ヘッドよりバーニーの評価の方が間違いない!!大御所の話題でさすがにハントが入っていなかった…何気に日本にも縁があるドライバー… F1前に日本(富士)に遠征し、 F1でもラストの93年以外は鈴鹿を全て完走。引退後はルマンでニッサンのマシンでも走った。
No.1 No.2はコース上のLONGINES olivettiが決めることだ...渋かったな~。
ナイスガイですね👍
パトレーゼね 鈴鹿F2での独走優勝 観ていたよ現場でJラフィーは最終コーナーを3輪で駆け抜けパトレーゼは豪快そのものだった70年代鈴鹿には後の大物F1ドライバー達が多く出ていたロズベルの親父もね その時期に観れた全日本F2楽しかったなあっ スマホ世代ども羨ましいだろ?違うかスマホ世代はMSなど観ないか 失礼しましたwww
ケケロズベルグでしょ
昔のパトレーゼって「シャドウ裏切った奴」「ピーターソン殺した奴」と罵詈雑言浴びせられていたよね
鉄人の二つ名が最高にカッコいいんだよなぁ。パトレーゼは器用な性格だから誰とでも上手くやれたはず。ラウダ、ジョーンズ、ヴィルヌーブ、ロズベルグ、プロスト、セナ、誰とでもね。ただし、ハントだけは多分駄目だったろうね。
やはりパトレーゼは再婚してますねレーサーになった息子ロレンツォパトレーゼが母親と絶叫RUclips再現しています😂題名Lorenzo Patrese drives mother crazy in Seat Ibiza
輝く2位世界の銀メダル、パトレーゼセカンドドライバーはナンバーワンドライバーをたまに食うぐらいで五分五分
今宮さん若い
あまり言われること無いけど、当時のF1ドライバーの中でも甘いマスクでハンサムな部類だったと思う。
事故の原因はパトレーゼと決めつけていた急先鋒は、化石のジェイムズハント!無実が判明しても言い続けていたしつこい奴!それでもパトレーゼは紳士だよ最後のBENETTON行きは失敗だったね………
23:40マンセルが来るまでの態度です
90年サンマリノは彼のベストレースかな。今から考えるとフェラーリはパトレーゼとナニーニの組み合わせじゃ駄目だったのでしょうか?やはりそれだけにプレッシャーが半端ないのかな。カペリは…なんだかね。
フェラーリは乗らない方が良かったかもしれないよ。1982年シーズン前にロズベルグと契約する前にパトレーゼに声をかけてくれた(この時既にブラバムと契約済みだった)フランクのオヤジさんのところで、ちょうどキャリア後半の円熟期 に乗る事が出来て本当に良かったと思う。 1987年鈴鹿のマンちゃん単独クラッシュがきっかけだったね。
小さい時からこの人が一番好きだった。小学生から中学までF1にくぎ付けだった。まさか俺が生まれた時にもうF1ドライバーだったとは、今これを見て初めて知った。長嶋茂雄が好きだから数字の「3」が好きな人のように、俺は「6」が好きだった。いつかのレースでパトレーゼが首位を走っていて、2番手をマンセルが走っていた。パトレーゼ大好きの俺はもちろん嬉しくてたまらなかった。しかし、パトレーゼはラストラップでマンセルに首位を譲った。それがチームのポイントのためだと知った。それがピットからの指示だと知った。少年だった俺はフランクウィリアムズを憎んだ。あの時のパトレーゼは元々ウィリアムズとセカンドドライバーとしての契約だったと聞いたことあるけど、それって本当なんですかね?
彼にドライバーズタイトルを奪って欲しかった
パトレーゼって離婚歴あるのかな?この動画に写るスージーが12年前のヘレスにて、ドッキリRUclipsシビックタイプRの助手席の夫人と別人みたいなんで🤔
地味と言えば地味も紳士、華のあるドライバーでファンですね!特に印象的だった89年ハンガリー神さまの意地悪って思った自分です今F1にこういうザ・スポーツマンってドライバーいないですよね。゚(゚´Д`゚)゚。
このレース、ワーウィックと中嶋の接触により落下したパーツを拾ってFW12のラジエーターに穴が空いちゃったんだよね。もしこのトラブルがなければ、レース終盤に当日絶好調だったマンちゃんとの一騎討ちになってたかもしれない。
@@281riccardo8 さん報じられてない貴重な話をありがとうございましたアレが無ければ2位は固かったかなですよね…ベストレースは91年メキシコと個人的に思いますね
@@netaka111 ハンガリーはその通りだったかもしれないですね。あの時のマンちゃんは、どこか1ヶ所のコーナー脱出がめちゃくちゃ早くて、ボカミスもなく(笑)、手がつけられない速さだったから。ベストレースなら、もちろん1991のメキシコですが、あとは同じ年のポルトガルでしょうか。予選残り5分でマンちゃんのTカーに乗ってポール取っちゃったけど、これはあの時点でまだパトレーゼが同じマシンならマンちゃんと同等以上に速い!事をあらためて証明した事になるから、価値があると思います。あのセナも「リカルドはいい仕事をした、あの走りならポールを取ってもおかしくない」て誉めていたよね。
パトレーゼ、カッコよかった
古舘の二百戦錬磨って語録がシンプルながらも好きなのよね。
鉄人ってなんかゴツゴツした人を連想するのにシュッとした男前だしね。
超懐かしい。いぶし銀パトレーゼ。
サッカーならばアシスト王、野球ならば確実に3割打てるアベレージヒッター、ラクビーならばスクラムハーフやスタンドオフ、バレーボールならばオポジットと確実にフォアザチームに徹した。
パトレーゼにスポット当てるとはどんだけシブい趣味してるんだ!笑
日本のモータースポーツやファンを着実に育てた時代。
バブルに浮かれて ただ単に "セナ" "ホンダ" をやってたわけじゃないって事ですねっ。
ブラバム時代のピケとパトレーゼのコンビ、二人とも男前ですな。
93年の日本GPの決勝レースで見ましたよ!錆びない鉄人パトレーゼを。ダンロップコーナーでスピンして、私が観戦していたN山エリア側のガードレールにぶつかり、グリーンゾーンに止まってくれて幸いでした。彼は怪我もなくマシンを降り、コースマーシャルに医務室に行くように促されましたが、本人は「大丈夫、大丈夫」とゼスチャーして断りました。金網越しにヘルメットを脱いで、しばらくグリーンゾーンに佇む彼を見ました。彼が引退を発表してもう30年が経つんですよね。あのサンマリノGPの記憶が生々しく残っていた時期に。最後になりましたが、とても貴重な映像をありがとうございます。いつ放送されたものなのですか?
偉大なるNo.2ドライバー。パッシブサスペンションの時は マンセルより速かった。FW-14に乗るパト様は生まれ変わった様に速かった。記録よりも記憶に残る鉄人。
パトレーゼ、男前でスキーが上手い印象⛷
当時はピケよりもパトレーゼが好きでした❣️あと、何気にこの90年のティエリー・ブーツェンとのウィリアムズコンビ時代も大好きでしたね^ ^
92年だったかウィリアムズで、猛追してすでにスリップに入っていたマクラーレンのベルガーがピットインする際減速し、追突してパトレーゼのマシンが宙に舞ってクラッシュしたときは青ざめました…
また、パトレーゼ自身も94年のセナの事故を目の当たりにして引退を決めたと、後年インタビューを読んだ記憶があります…
鉄人と言われていますが、繊細で優しい職人肌の人で素敵でしたね🍀✨
あのときパトレーゼがベルがーに危ないじゃないかと注意したら、「ごめん、ごめん、今度ピット入るときは君のパパに電話して入るね。」とベルガーが言ったらしい。
パトレーゼがこの30年のF1で一番好きなドライバーです!87年のメキシコ遅いブラバムで3位表彰台乗った日から93年引退まで応援してました、この放送もビデオに録画して何度も観ました、少年時代の良い思い出すね。パトレーゼの悪口ばかり言うジェームスハントが放送に出てこないのは(笑)
リカルド・パトレーゼ…
幼き頃の私のヒーローでした。買うミニカーはマンセルのレッド5ではなくいつもカーナンバー6のパトレーゼのウィリアムズ。最後ベネトンに行ったときもシューマッハなんかクソ食らえでパト様をずっと推してた。パト様実は鉄オタという一面もあったんですよね。
自分も19歳だった当時アイルトン・セナに憧れてレーサーを夢見て活動していました。
セナももちろん好きでしたがパトレーゼの渋い走りも大好きでした(数年前幸運にもツイッターで彼にフォローされました)。
しかし当時あれほどF1に夢中になっていたにもかかわらずこんな特番があったなんて不覚にも全く知りませんでした。そしてこれを見てより一層彼が好きになりました。
自分も諸事情で志半ばにしてレーサーの夢を断念しました。しかし最近になってまたあの時の夢が再燃して本日fiscoライセンスを取得してきたばかりでした。そんな時にこの映像を偶然見つけて何か運命のようなものを感じました。
自分ももうすぐ50歳。あの時のように勢いだけで行動できませんがやれるところまでやってみようと思います。
貴重な映像をありがとうございます。
人間幾つになっても夢を諦めない事が大切ですよ✨ 20代で結婚し子育てに追われカートを辞めてしまいましたがもう直ぐ還暦になるので還暦を機会にカートを始めるつもりです。頑張ってください💪😊
パトレーゼとアルボレートが大好き❕二人とも紳士だしね。
パトさんのヘルメット、開口部の紺色のラインごしにピタッとした白いバラクラバ、シンプルだけどめちゃ格好良かったなあ。
レーサーとしても大好きだけど、超絶的なメルクリンコレクターの顔も大好き❤
当時のフジテレビはバブル期ということもあり、海外への取材も精力的に行ってましたね。
毎週木曜日の深夜に『ポールポジション』という番組があり、レースがない時でも様々な観点からF1を取り上げる良い番組でした。
国際映像だけでなくフジテレビ独自のカメラが捉えた貴重な映像も数多く、レースの振り返り解説やインタビューも多くて、ポールポジション内でたくさんの特集が組まれ放映されてて毎回楽しみでした。
ただ、F1人気がブームとなって来ると番組も生粋の情報番組から万人向けのワイドショーようなノリになっていき、このようなスペシャル番組や渋い特集などは少なくなってしまい、ポールポジション自体も木曜深夜から日曜深夜枠になった事で、レース中継がある時はポールポジションはお休みと事実上の放送枠縮小で、グランプリ以外の海外取材も減ってしまったようで残念でした。
自分の思っていたことをそのままコメントしてくれてます。フジテレビの放送以前の映像も使われていて見応えある内容だと思います。海外では今もドライバーにスポットを当てたドキュメンタリーとかあるのでしょうか?
パトレーゼへの助言を見てもわかるバーニーのゴッドファーザー感。彼ほどF1界全体を見渡せる人物もいないだろう。
貴重な動画をアップしていただき、ありがとうございます。
マンちゃんとさしの勝負で勝った1991年のメキシコGP、レース後のフランクウィリアムズの嬉しそうな顔、パトレーゼは円熟した1番良いタイミングで、FW14、そして正々堂々とした勝負を認めるチームオーナーと巡り合う事ができて良かったと思います。
でもこれはただの幸運ではなく、パトレーゼ本人の元々の速さ才能に加えて常に戦闘力を維持しながら経験を積む事によりつかみ取ったポジションだと思います。
こういうのがあったんですね!パトレーゼファンとして最高です!ありがとうございました!
素敵な人ですね。なんて言うか、調子がいいとき、悪い時、ハッキリしてますね。人間的に多くの事を学んでますね。努力家ですよ。素敵、頑張ってください。
このビデオ、実家にあるのを思い出しました。90年までのまとめだったと思います。この翌年くらいまで日本企業が元気でしたね。
CMで入ってたスーパークロスも見に行っていました。
懐かしい動画をありがとうございます。
素晴らしい動画ありがとうございました。
マンセル、パトレーゼのウィリアムズ好きだった。
パトレーゼファンです。アップありがとうございます。家宝にします。
こんないい特集やってたのか・・・
この頃F1大好き(今も好きだけど、今よりも)だったけど、全然知らなかった。
今更ながらパトレーゼファンになってしまいましたよ(笑)
200戦出走でお祝いの時、パトレーゼの身体を持ち上げていたのは、ナニーニとジャコメリ。特にナニーニは自分の事のように顔をクシャクシャにして喜んでる。横には今は亡きチェザリスもいるね。
この時、プロストも駆けつけてワインで乾杯していた。こんなドライバーなかなかいないよ。
パトレーゼの苦労をはじめてしりました。CMまでついつい観てしまいました。田中律子・石田ゆり子のツーショットに(涙)アップありがとうございます。
この91年夏に放送していたフジ月9ドラマ、101回目のプロポーズ撮影のときに、荒川河川敷で収録したCM映像ですね。
F1黄金期に職人パトレーゼを生で観れたことを幸せに思います。
イタリア人にしては勤勉で真面目な印象でしたが、考え方や人当たりはイタリア人ですね。
92年のポルトガルで前を走るベルガーのリアタイヤと接触してオンボードカメラに空が写るほどの大クラッシュした時、マクラーレンピットへ抗議に行く鬼の形相のパトレーゼも忘れられません。
イタリア人って陽気だとかいい加減だとか勝手に日本人は思ってますが、真面目でクールなドライバーが多いですよね。
パトレーゼ、アンジェリス、タルキーニ、フィジケラ、トゥルーリとか。どちらかというと繊細で神経質な感じですかね。
セナが逝って時が止まり、心ここにあらず観ていたシューマッハもまた···年を取るとは、こういうことですね。
パトレーゼ大好きだったなー。懐かし過ぎる!動画アップありがとうございます!
マンセルが戻る前の収録なんでしょうね。ファーストドライバーがマンセルになっても彼の勝にこだわる姿勢は感じられた。
ピケも、感じがいいドライバーだった気がします。
この番組は知らんかったなぁ。
関東限定?
パトレーゼはだき好きなドライバーです。
アップありがとうございます‼️
リポーターの川合ちゃんがエキシビションで行われたF1クイズイベントでパトレーゼとペアになったところ、
大ベテランならではの生き字引の如き知識と、
出題者の持つ小さなカンペに書かれた解答まで見通してしまう恐ろしい視力で無双状態だったとか
安全性が現代とは比較にならなかったであろう時代に200戦超出走…渋い‼️ 瞳涼しいイケメンでもありました‼️
二百練磨のF1戦士、お誕生日おめでとうございます!!
1991年は、パトレーゼが輝いた年だった。
91年のブラジルGPで6速のみで走り切ったセナが初優勝した時に、表彰台の2位に立ったのがパトレーゼだった(ちなみに3位はベルガー)。
セナが疲労困憊でブラジル国旗を持って表彰台に現れ、国旗を高々とあげようにもおぼつかなかったのだが、そんなセナの体を横からパトレーゼが支えて祝福していた。
あれから30年たって残念ながらセナはいなくなってしまったのだが、あのパトレーゼの表彰台でのシーンは今でもはっきりと覚えている。
イタリアの優男って感じの雰囲気好きだなぁ
物凄く貴重な映像を見られて本当に嬉しかったです。ありがとうございました!
「いぶし銀」…外国語で、この言葉が通じるのかは分かりませんが、是非ともパトレーゼ氏に送りたい!
ヘルメットのデザインがシンプルでかっこ良かった。76年イタリアGP事故原因は彼でなくグリッドが全車つく前にスタートしたのが原因。ジルのスタートはフライングではと思った。
10’20”あたりスタジアムトライアルが懐かしい。
Grande patrese
18:40 パトレーゼ「フェラーリいいなあ、俺も乗りたいなあ」
日本に縁が深かったですね、キャリア初ポイントが77年の富士で翌週の鈴鹿GP@F2で優勝。WECではランチアで参戦。
20世紀の富士、鈴鹿両方でポイントを取った唯一のドライバーですね。
@@tkmd5415
門扉解放(外人選手へのJAFライセンス発行)以前で唯一の「日本帰りは出世する」でした。
鈴鹿にシェブロンのウィングカーで登場した
@@大嶋明弘-g8k
B48=まさかの日本デビューでしたね、3位入賞は「流石ディフェンディングウイナー」とおもいました。
パトレーゼのF1キャリアの前半は辛い事ばかり。。
彼のイメージを悪くしたのはピーターソンの事故の責任を回避したいハントの発言ではないのか。。
ラウダも事故後にパトレーゼの出走を拒否している。
観客からは「このユダヤ人め!」といったヤジがあったとか。。
だが、誠実なパトレーゼを慕う人は多かった。
同じユダヤ人で彼を守るバーニー、彼を兄と慕うナニーニ。
セナとも比較的仲が良く、F1復帰の相談をしていたそうだ(セナの死で実現しなかったが。。)
彼は今何をしているんだろう……
ワーウィックと並んで好きなドライバーです。
25:38~25:50 パトレーゼさん。”鉄人”の名の通り、鉄ちゃん(模型鉄)だった・・・。
鉄人の鉄ちゃんか。ハハハ、とてもいい感じですね。❤
ドイツの名門鉄道模型メーカー、メルクリンのアンティークレアアイテムをコレクションしているそうな。
1991メキシコは彼のベストレースだと思う。絶頂期のセナとマンセルを力ずくでねじ伏せてポディウムの頂点に立ったのだから。
鈴鹿GPでの高橋国との一騎打ちも凄かった!🤗
100戦練磨ならぬ、「200戦練磨」のドライバー
ありがとう! パトレーゼ!
パトレーゼの奥さんは彼が運転するシビックの助手席で「マンマミーヤ!!!」と絶叫していたなー…。
90年からF1を見始めたけどパトレーゼが実はモナコ勝ってたと知った時は驚いた
リカパと事 サーキットの皆勤賞。
俺がF1を見始めたのが1990年のサンマリノ
イケメンですよね^_^最後ベネトン時代は目立たなかったですね(*_*)
ミハエルはベネトン時代パトレーゼからチームスタッフへの感謝の仕方を学んだ。
リカルド・パトレーゼ
派手さはないが、堅実な走りを魅せてくれた
いぶし銀
子煩悩で愛妻家だった
パトレーゼがシェブロンのウィングカーで鈴鹿登場して高橋国さんとの一騎打ちは凄かった!
リアルタイムでは知らなかったパトレーゼがここにいるのか。。。
私が知ってたのは「200戦練磨で冷静でなぜかやたらとスキーが上手い人」だったからなぁ。
放送当時、リアルタイムで観てましたよ^^録画したVHSのビデオテープ未だに持ってますw(ビデオデッキ無いけどwww)
ビデオデッキ、まだハードオフのジャンクコーナー辺りで売っでるんじゃないでしょうかねえ。
フランクやパトリック ヘッドよりバーニーの評価の方が間違いない!!
大御所の話題でさすがにハントが入っていなかった…
何気に日本にも縁があるドライバー…
F1前に日本(富士)に遠征し、
F1でもラストの93年以外は鈴鹿を全て完走。
引退後はルマンでニッサンのマシンでも走った。
No.1 No.2はコース上のLONGINES olivettiが決めることだ...渋かったな~。
ナイスガイですね👍
パトレーゼね 鈴鹿F2での独走優勝 観ていたよ現場で
Jラフィーは最終コーナーを3輪で駆け抜け
パトレーゼは豪快そのものだった
70年代鈴鹿には後の大物F1ドライバー達が多く出ていた
ロズベルの親父もね その時期に観れた全日本F2
楽しかったなあっ スマホ世代ども羨ましいだろ?
違うかスマホ世代はMSなど観ないか 失礼しましたwww
ケケロズベルグでしょ
昔のパトレーゼって「シャドウ裏切った奴」「ピーターソン殺した奴」と罵詈雑言浴びせられていたよね
鉄人の二つ名が最高にカッコいいんだよなぁ。
パトレーゼは器用な性格だから誰とでも上手くやれたはず。ラウダ、ジョーンズ、ヴィルヌーブ、ロズベルグ、プロスト、セナ、誰とでもね。ただし、ハントだけは多分駄目だったろうね。
やはりパトレーゼは再婚してますね
レーサーになった息子ロレンツォパトレーゼが母親と絶叫RUclips再現しています😂
題名
Lorenzo Patrese drives mother crazy in Seat Ibiza
輝く2位
世界の銀メダル、パトレーゼ
セカンドドライバーはナンバーワンドライバーをたまに食うぐらいで五分五分
今宮さん若い
あまり言われること無いけど、当時のF1ドライバーの中でも甘いマスクでハンサムな部類だったと思う。
事故の原因はパトレーゼと決めつけていた急先鋒は、化石のジェイムズハント!
無実が判明しても言い続けていたしつこい奴!
それでもパトレーゼは紳士だよ
最後のBENETTON行きは失敗だったね………
23:40
マンセルが来るまでの態度です
90年サンマリノは彼のベストレースかな。今から考えるとフェラーリはパトレーゼとナニーニの組み合わせじゃ駄目だったのでしょうか?やはりそれだけにプレッシャーが半端ないのかな。カペリは…なんだかね。
フェラーリは乗らない方が良かったかもしれないよ。
1982年シーズン前にロズベルグと契約する前にパトレーゼに声をかけてくれた(この時既にブラバムと契約済みだった)フランクのオヤジさんのところで、ちょうどキャリア後半の円熟期 に乗る事が出来て本当に良かったと思う。 1987年鈴鹿のマンちゃん単独クラッシュがきっかけだったね。
小さい時からこの人が一番好きだった。
小学生から中学までF1にくぎ付けだった。
まさか俺が生まれた時にもうF1ドライバーだったとは、今これを見て初めて知った。
長嶋茂雄が好きだから数字の「3」が好きな人のように、俺は「6」が好きだった。
いつかのレースでパトレーゼが首位を走っていて、2番手をマンセルが走っていた。
パトレーゼ大好きの俺はもちろん嬉しくてたまらなかった。
しかし、パトレーゼはラストラップでマンセルに首位を譲った。
それがチームのポイントのためだと知った。
それがピットからの指示だと知った。
少年だった俺はフランクウィリアムズを憎んだ。
あの時のパトレーゼは元々ウィリアムズとセカンドドライバーとしての契約だったと聞いたことあるけど、それって本当なんですかね?
彼にドライバーズタイトルを奪って欲しかった
パトレーゼって離婚歴あるのかな?
この動画に写るスージーが12年前のヘレスにて、ドッキリRUclipsシビックタイプRの助手席の夫人と別人みたいなんで🤔
地味と言えば地味も
紳士、華のあるドライバーで
ファンですね!
特に印象的だった89年
ハンガリー
神さまの意地悪って思った自分です
今
F1に
こういう
ザ・スポーツマンってドライバーいないですよね。゚(゚´Д`゚)゚。
このレース、ワーウィックと中嶋の接触により落下したパーツを拾ってFW12のラジエーターに穴が空いちゃったんだよね。
もしこのトラブルがなければ、レース終盤に当日絶好調だったマンちゃんとの一騎討ちになってたかもしれない。
@@281riccardo8 さん
報じられてない
貴重な話をありがとうございました
アレが無ければ2位は固かったかなですよね…
ベストレースは91年メキシコと個人的に思いますね
@@netaka111
ハンガリーはその通りだったかもしれないですね。
あの時のマンちゃんは、どこか1ヶ所のコーナー脱出がめちゃくちゃ早くて、ボカミスもなく(笑)、手がつけられない速さだったから。
ベストレースなら、もちろん1991のメキシコですが、あとは同じ年のポルトガルでしょうか。
予選残り5分でマンちゃんのTカーに乗ってポール取っちゃったけど、これはあの時点でまだパトレーゼが同じマシンならマンちゃんと同等以上に速い!事をあらためて証明した事になるから、価値があると思います。あのセナも「リカルドはいい仕事をした、あの走りならポールを取ってもおかしくない」て誉めていたよね。